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LAST UPDATE:2016/11/26

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佐藤寿人選手 移籍会見を行いました

 本日、広島市内で佐藤寿人選手移籍会見を行いました。
「私、佐藤寿人は、愛するクラブ、愛する広島を離れ、来季から名古屋グランパスへ移籍することになりました。いろんな思いがある中での決断となりましたが、今日、記者会見で、自分の言葉でその思いを伝えたいと思います。本日はよろしくお願いします」

Q)今の率直な気持ちは?
「率直な気持ちですか…。移籍を決断して、まだ日にちも経っていないので、寂しさもあります。まだ今季が終わっておらず、来季に向けて頭がいっていない部分もあります。正直なところ、大好きな広島というクラブを離れるという実感は、まだ沸いていません。自分が決めたことですが、自分のことでないようにも感じています。それくらいの想いが、このクラブとこの街にはあります。ただ、その寂しさを乗り越えていかなければいけないと思っています」

Q)移籍するかどうかで、一番悩んだところは。
「僕の願いであり、一番の理想は、この素晴らしいクラブ、素晴らしい街で現役を全うすることでした。先日、引退セレモニー行った同じ年の森崎浩司選手のような形で終えることができたらと、ここ数年、ベテランになってプレーを続ける中では、そう思うこともありました。一方で、今季はなかなかチームの力になれず、悔しい気持ちもありました。いろんな葛藤がある中で、やはり「戦いたい」「どんなときでも、ピッチの上でチームの勝利に貢献したい」という思いも強くあり、自分にとっても非常に難しい決断でした。12年間、このクラブでプレーし、広島の街で生活し、人生の1/3を過ごしてきました。ただの12年間ではなく、素晴らしいときと苦しいとき、その両方を戦ってきました。わざわざ自分から(広島を)好きなクラブ、街を離れる必要はない、と思っていましたが、最終的にクラブの方にも理解していただき、前に進むことができました。この決断によって、たくさんの方に迷惑をかけてしまったと思いますが、最終的には僕のわがままを理解してくれたクラブには感謝しています」

Q)移籍について、誰かに相談しましたか。
「一番最初に、いつも隣にいてくれる妻に相談しました。悔しい思いをしているときも、いい結果を出しているときも、いつも隣で僕の気持ちをわかってくれているのが妻でした。最終的には、僕の決断を家族としてサポートすると言ってもらいました。3人の子どもたちの生活のベースは広島にあります。僕が名古屋に行くことに対し、家族の理解が得られなければ前には進めません。

サッカーの部分では、もちろんチームメイトや、僕に携わってくれた人生経験豊富な方にも相談しました。(移籍が)簡単な道でないことは十分に理解しています。3回優勝したクラブを離れ、たくさんの勝利をともにわかちあってきた仲間とプレーすることを、今回の決断であきらめなければいけないのは非常に難しいことです。自分ひとりでサッカーをやってきたわけではなく、常に仲間と一緒でした。そのチームメイトとサッカーができなくなるのは、とても悲しいです。ただ、クラブに長く在籍していれば、選手が新しく加入したり、移籍していくのは普通のこと。ずっと同じメンバーでプレーできるわけではありません。今回、自分の決断でその道をあきらめることはつらい…というよりも悲しいですが、素晴らしい仲間とやってきたことがなくなるわけではありません。

いろんな方と相談した結果、自分がどうしたいか、という部分で結論を出しました。わがままを最大限、理解して尊重してくれた家族とクラブがなければ、このような決断はできませんでした。感謝しています」

Q)移籍をする決断をしたのは、やはりピッチで活躍したい、という思いが一番でしょうか。
「僕はすでにベテランといえる年齢で、サンフレッチェの中では浩司、カズと並んで日本人最年長です。クラブが転換期に入っていることは理解しています。その中で、クラブには来季も戦力だと言ってもらい、熱意を伝えてもらいました。ただ、今季はコンスタントにピッチに立ってチームの勝利に貢献できませんでした。チームに残ってポジションを奪い返すことも考えましたが、クラブが転換期を迎えて新たな方向に進む中、これからどれだけ結果を残すことができるのか。クラブは新たな方向に進んでいかなければならないし、その中で自分もこういった決断をしなければいけない、とも感じました。クラブには最大限、残留に向けての言葉をいただきました。ただ、ピッチでフル稼働してチームの勝利に貢献したい、という思いもあります。

もちろん、このクラブで現役を全うしたい、という思いもここ数年はありました。ホーム最終戦の福岡戦で、浩司選手の素晴らしい引退セレモニーを見たとき、来年は自分がこうやってセレモニーをするのかと想像しました。しかし、その後、2試合で出場機会がなかったとき、素直に感じたのは悔しいという気持ちでした。まだやれる、やりたい、やめたくない、戦いたいという気持ちを強く感じました。そうはいっても、大好きなクラブ、大好きな街を離れることはなかなか考えられず、考えても答えが出ないところではあったのですが、早く決めなければ両方のクラブに迷惑をかけてしまいます。最後は、自分のわがままで、「戦いたい」という一心で決めました」

Q)名古屋からオファーを受けたときの気持ちは。
「ベテランにオファーを出すのは簡単ではないと思っています。J2に降格して、1年で復帰し、その先として本来あるべき姿に戻す、という中で、純粋に選手として評価してもらいました。まだやれることを証明してほしいと言われ、うれしく思いました。最初にオファーを受けたときは、驚きました」

Q)オファーを受けたタイミングは。
「正式にクラブにレターが来たのは、天皇杯の鳥栖戦の前後だったと思います」

Q)名古屋の監督就任が濃厚と言われる風間監督についての印象は。
「まだ風間さんが監督に就任することが正式に決まったわけではないので、コメントしづらい部分はあります…。ここ数年、川崎フロンターレで主導権をもった試合運びをするチーム作りをしています。今季、年間勝点で2位となったチームの監督で、サンフレッチェでもキャプテンとしてプレーし、ステージ優勝に貢献した偉大な先輩でもあります。そういった方の指導を受けられるのであれば、いろんなことを学べるのではないかと思っています」

Q)名古屋では1年でのJ1復帰を目指すことになります。サンフレッチェでは、1年でJ1に昇格しました。1年で復帰するために必要なことは。
「単純に比較することはできません。広島が降格したときと名古屋が降格したときで、いろんな要素が違います。ただ、絶対に必要なのは、クラブと選手、ファン・サポーターがまとまって戦わなければならない、ということです。それがなければ1年での復帰は難しいと思っています。長丁場の戦いであり、苦しい時期に崩れてしまうと、1年では戻れません。広島でも2008年1年で復帰したときも、最初はうまくいかない時期がありました。その中で我慢して勝点を積み重ねていくことで、2012年のJ1優勝につながるベースが築けたと思っています」

Q)サンフレッチェで成長したと思うことは。
「広島に来るまでは、どうすれば自分がゴールを決めることができるか、ということしか考えていませんでした。わがままなストライカーだったと思います。しかし、広島でいろんな経験を積み重ね、苦しい時期を戦っていく中で、少しずつ大人のサッカー選手になれたのではないかと思います。たくさんの素晴らしい選手、スタッフと仕事ができ、恵まれていました」

Q)サンフレッチェでの一番の思い出は。
「一番はやはり2012年の初優勝です。ただ、その初優勝につながった2008年のシーズンも深く思い出に残っています。2007年に降格して、サポーターにも広島の街の皆さんにもたくさん悲しい想いをさせてしまい、2008年は、もうスタジアムには人が来てくれないのでないかと思っていました。しかし、苦しいときも広島の皆さんは、クラブと選手を支え、一緒に戦ってくれました。それがクラブのその後の大きな成果につながっていると思います。2008年、一番苦しいときに地元の方が背中を押して支えてくれました。いいときはいろんな人が拍手を送ってくれますが、苦しいときにどれだけの人が寄り添って物事を考えてくれるかどうかで、人間の本質が見えるところだと思っています。(広島の方に支えていただき)本当に広島に来てよかったと思いました。広島で生まれたかった、育ちたかったな、と思うくらいです。残念ながら僕は違いますが、3人の子どもたちは広島で生まれ育ち、広島弁を上手に話します。そういった生粋の広島人である子どもたちを見ると、少し嫉妬してしまうくらいです。(広島の皆さんが)苦しいときも一緒に支えてくれ、戦ってくれたことが、素晴らしい成果につながったことは、本当に感謝しています」

Q)広島でやってきた、どんなことを名古屋で伝えたいか。
「広島での成果は、すべて過去の話です。また1から結果を出さなければ認めてもらえないと思っています。この移籍が、自分にとっても両クラブにとっていいものだった、と言われるようにしなければいけません。険しい道のりになりますが、それに向かってしっかりと準備して、いい成果を見せたいです。その姿を広島のファン・サポーターにもお見せできれば、この決断がよかったと思ってもらえます。ただ、その前にまだ今季も天皇杯が残っています。浩司のためにも、4つめの星を獲って締めくくりたいです」

Q)移籍してもプレースタイルに変わりはありませんか。
「僕はサンフレッチェのエンブレムを身にまとって、218ゴールを決めていますが、そのゴール1つ1つで評価してもらったと思っています。ストライカーは孤独なポジションですが、名古屋のユニフォームを着ても、ゴールを決めるという形で引っ張っていきたい。そのために最大限、チャレンジしていきたいと思っています」

Q)サポーターへのメッセージをお願いします。
「2005年にJ1で11点しか取っていない、将来どうなるかわからない選手を迎えてくれ、温かく背中を押してもらって、そのおかげでたくさんのゴールを皆さんと一緒に決めることができました。勝利の喜びを分かち合い、2012年、13年、15年と3度リーグ優勝をすることができ、サッカー人生の中でも素晴らしい時間を過ごすことができました。たくさんのサポーターから、来季も一緒に戦おうという熱い思いをもらったにもかかわらず、この決断をするのは心苦しいものがあります。ただ、自分としても、ゴールを決める姿をサンフレッチェのファンやサポーターに見ていただければと思っています。そのためにも自分自身がもっと努力しなければいけません。これからの挑戦は難しいものではありますが、成長できるということを結果で証明したいです。こういった決断をすることになり、来季以降は広島で戦うことはできませんが、引き続きプロサッカー選手としての佐藤寿人を、広島の地から応援していただければありがたいです。そして僕個人以上に、サンフレッチェ広島を熱い声援で支えてほしいと思います。伸び悩み、もがいている若い選手もたくさんいます。彼らを支えて、ときには厳しく叱咤激励し、素晴らしいクラブになっていけるように、全力でサポートしていただければと思います」
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