サポーターズ・カンファレンス議事録

クラブ全般について(代表取締役社長 仙田信吾)

 2020年1月1日付けで代表取締役社長に就任しました、仙田信吾と申します。よろしくお願いいたします。2020年3月で65歳になりますが、どんな人よりも気持ちは若く、と思っております。

 2020年はサンフレッチェ広島にとって、大変エポックな年であると捉えています。一つは東京オリンピック・パラリンピックという世界のスポーツの祭典に、サンフレッチェが生んだ代表監督が臨みます。また、代表チームにサンフレッチェの選手を数多く輩出できる可能性が十分にあります。大きな活躍の舞台にサンフレッチェの選手が立つことができれば、我々にとっても誇らしい限りです。

 さらに新しいスタジアムは、広島県、広島市、広島商工会議所、地元経済界、そして何より、ここにいらっしゃるファン・サポーターの皆さんのおかげで、広島市中央公園広場という、願ってもいない場所にお決めいただきました。心より感謝申し上げます。これに向けた準備は、いろいろな段階がありますが、2020年が起点となり、大きな動きが始まります。そういう意味でも2020年は大きな年です。ファン・サポーターの人たちが迫力と熱気を感じ、ぶつかる音がする、キックの迫力が間近に伝わってくる、そんな感動のステージを、2024年の開幕に向けて皆さんに展開できる。しかも大変便利の良い場所で、ということが誇らしく思えます。

 同時に、サッカーファンの垣根を超えて、たとえサッカーの試合がないときでも、多くの人たちが憩うことができる、サッカーがなくても行ってみたい、世界から来る観光客が、原爆資料館や原爆ドームを見た後に、あるいは慰霊碑に参拝された後に、必ず行ってみたい、行くべきである、そういう場所にしていきたいと思っています。そのためにはサッカー王国・広島の歴史をもう一度、ファンの皆さんとともに思い直し、サッカーの殿堂として、あるいは広島が原爆の惨禍から復興した、復興と平和のシンボルとして、あの場所があるべきだろうと思っています。

 サンフレッチェのホームページでは、クラブの歴史・沿革は1993年から始まっていますが、広島県サッカー協会ができて、2020年で96年になります。大正時代から始まっているんです。その広島県のサッカーの歴史をもう一度掘り起こし、東洋工業サッカー部の大活躍、メキシコ五輪の大活躍、それらをひも解いて、シンボライズしたものが、あの場所に行けばある。世界から来た人も、復興を支えたのは野球だけではなく、野球とサッカーの2つがあったんだと、あの場所に行けば分かる。サッカーの殿堂として、あの場所をつくるという決意を持って臨みます。建設の主体は広島市になりますが、広島県、広島市、広島商工会議所に、サンフレッチェ広島の代表として久保允誉会長にオブザーバーとして入っていただき、我々のアイディアと知見、熱意を伝えていく。そういう場所にしていきたいと思っております。

 話を戻しますと、2020年のサンフレッチェには、大いに期待してもらっていいと思います。一昨日、『サンフレッチェ広島を励ます会』を開いていただいた際、ステージに上がってくる選手たちの『目力(メヂカラ)』だけで、私は2020年はいけると思いました。詳しい解説は、のちほど足立修強化部長がいたします。

 それから、ユニフォームのことです。今日はユニフォームについて、どう説明するかという視点でご関心をお持ちの方もいらっしゃると思いますので、私の思いを皆さまにお話しします。

 2020年がサンフレッチェにとって大事な年だと申し上げました。2020年は、被爆75年です。被爆を体験された人たちがどんどんお年を召していく中で、私たちは2020年のサンフレッチェのユニフォームを、濃い紫に戻しました。これが一つの大きなエポックです。もう一つ、原爆ドーム、地球儀、平和の象徴である鳩、サッカーボール、これらを『86』でかたどったシンボルを、左上腕につけます。さらに、広島が平和を発信する拠点であることを世界に示す意味で、アルファベットの『HIROSHIMA』を右上腕につけます。私たちは2020年の被爆75年をユニフォームの中に形作り、選手一人ひとりの気持ちとして、広島をホームタウンに持つ誇りと気概を日本、さらに世界に向けて発信していきたいと思っています。

 そして、紫への回帰です。私の身内にもサッカーファンは多いのですが、やはり2019年のユニフォームは「ちょっと色が薄いよね」と言われました。2020年は濃い紫に戻しました。若い方はご存じでないかもしれないので、紫の『いわれ』を申し上げます。

 なぜ紫が高貴な色なのか。実に詩的な表現なのですが、古代中国では四千年の歴史の中で、日の出の太陽を『青』と見たんです。日の入りの太陽は夕焼けの『赤』です。そうすると、太陽が一番高い位置の色は何でしょうか。これを中国の人たちは、青と赤の間の『紫』だと主張したのです。それがあるから、日本に律令制度が起こり、中国の文化を取り入れて衣冠束帯を決めるときに、紫を最高の高貴な色にした。それは太陽が一番高い位置にあるからです。それをサンフレッチェが使わせていただいていることに、心から感謝しています。だからこそ、我々は濃い紫に回帰いたしました。

 では、どうしてセカンドユニフォームを『白・赤・白』にしたのか。これは最初に申し上げた、世界の祭典の年だからです。かつて昭和39年、1964年の東京オリンピックの最終聖火ランナーは、広島県三次市出身の坂井義則さんでした。坂井義則さんは昭和20年8月6日生まれです。早稲田大学の陸上部でしたが、名もない選手です。しかし、8月6日に生まれたから、アジアで最初に開かれたオリンピックで、8月6日に広島で生まれた選手がトーチを灯したのです。広島とは、そういう土地柄です。

 今回、ナイキさんの提案に対して、紫を大事にする我々は審議しました。悩みました。しかしここは、『日の丸を象徴する赤と白』との提案に、世界平和への発信を広島からできるのであれば、乗っていこうと思いました。ここは、ぜひご理解いただきたいと思います。

 もう一つは、広島東洋カープです。カープさんは2020年が創立70周年記念のシーズンとなります。私たちのスタートは、あくまで1993年です。それ以降、サンフレッチェはカープさんを尊敬し、カープさんはサンフレッチェを尊敬する。今のサッカー用語ではリスペクトですね、そういう関係が続いています。カープさんとサンフレッチェは資金力では天地の差、雲泥の差があります。しかしカープさんは我々を、我々はカープさんを尊敬しています。相互の尊敬関係の中で、尊敬し合う者同士で一度、赤と紫のユニフォームを交換する。そういう動きができないだろうかというプランになりました。

 言うなれば「啐啄同時(そったくどうじ)」です。卵から雛が生まれるのは、親が外から殻をつついたからか、雛が中からつついたからか。どちらでもない、啐啄同時なんです。以心伝心、啐啄同時、そういうタイミングで、このアイディアが生まれました。これを、我々は前向きに捉えるべきだと思いました。

 私の前職は、株式会社中国放送というラジオ・テレビの兼営局の役員です。カープさんのファン感謝デーは中国放送がずっと主催しており、私も事務局長、実行委員長として担当していましたが、当時カープさんのファン感謝デーは人が集まらず、「もうお金がもたない」と話したこともありました。それが、今はどうですか。私はそういう苦労を知っています。カープさんが一番苦労したのは、Jリーグ立ち上げの1993年です。あの頃から真剣にファンサービスを考え始め、それが今、実を結んでいるんです。

 私たちはカープさんを見習いたい、勉強していきたいと、ずっと思っています。今やカープさんは『教えちゃる』という立場かもしれませんが、互いにリスペクトしあう関係であり、我々もアイディアを出して、広島を元気にしていこうと考えています。それはJリーグの理念であり、サンフレッチェ広島の理念です。皆さんよくご存じの、地域に貢献するというサンフレッチェの思いの象徴として、捉えていただければと思います。夢と感動で地域を元気にして、スポーツの力をもって地域に貢献していく。そういう思いで選手たちが戦い、それを監督がけん引し、フロントは支えていく。そういうつもりで引き続き、懸命に奮闘して参ります。

 城福監督と2日間、挨拶をして回りました。J1リーグの監督の中で民間の経験があるのは、城福監督だけです。富士通でリストラの窓口になり、労使交渉の席で、一人で対峙した場面もあったそうです。そのような経験をしている監督から、現在のチームづくりについての赤裸々な話を聞いて、私は感動しました。この監督なら優勝を狙える、そう思っています。城福監督や選手に、どれだけストレスを与えないフロントであるか、そういうことに努力していくのが社長、フロントの仕事だと思っています。

 2月23日のJ1リーグ開幕戦が肝です。盛り上げるために、今回はちょっと変わったこともやります。まず選手にどんどん前面に出てもらい、選手をスターにする。テレビ番組にもっと出ていいのではないか、という考えを皆さんもお持ちだと思います。強化スタッフにも理解してもらい、できるだけテレビやラジオ、メディアへの進出を図っていきます。テレビスポットで大きなキャンペーンもやります。期待してください。しかし、2月23日に紫でスタジアムを満員にするためには、皆さんの力が必要なんです。どうぞ、おいでください。よろしくお願いします。

テーマ2 チーム強化と編成について