近賀ゆかり選手 現役引退会見を行いました
レジーナ
5月20日(火)、エディオンピースウイング広島で近賀ゆかり選手の現役引退会見を行いました。
近賀ゆかり選手 現役引退会見
おはようございます。本日はお集まりいただきありがとうございます。
今日はレジーナへの思いを皆さんに聞いていただけたらと思っています。よろしくお願いいたします。
代表質問
Q)現役ラストマッチ(17日新潟L戦)を終えて数日が経つ。今の率直な気持ちは?
近賀選手●
昨日(19日)も一昨日(18日)もレジーナの(メンバーと)一緒にいましたし、あまり実感が湧かないところが今の気持ちです。実感はこれから湧いてくると思います。メンバーから手紙をもらったりする中で、もっと話をしておけばよかったと、さみしさも感じています。
Q)現役ラストマッチ(17日新潟L戦)でゴールを決めた。場面を振り返って。
近賀選手●
ゴールは決めたいと思っていましたが、本当に決めることができるとは思っていなかったので自分でもびっくりしています。それは本当にチームに感謝したいという気持ちと、今まで一緒にプレーしてきた先輩や仲間の姿を見てきたからこそ、あのゴールに繋がったと感じています。関わった全ての人に感謝したいと思っています。
Q)引退を決めた時期とそして理由は。
近賀選手●
引退を決めたのは、今シーズンが始まる時です。今シーズンを勝負の年にし、全てをかけてプレーをして終わりにすることがいいと思い、その中で、昨シーズンメンバー外になったり、試合に絡めないこともあったので、今シーズンは、試合に出てちゃんとプレーして終わりたいっていう気持ちの中でシーズンを迎えました。引退をイメージしながらプレーしていく中で、またスタメンで出ることができて、出場すると(サッカーが)楽しいので、気持ちも変わるかなとも思っていました。
しかし(引退するという気持ちは)全然変わりませんでした。またその後前十字靭帯断裂という大きな怪我をしました。今シーズン中に復帰できるか微妙な時期(2024年10月)での怪我だったので、怪我をした時やその後のリハビリ中に、また(来シーズンもプレーしたいという)気持ちに変わるかなとも思っていましたが、何一つ(気持ちは)変わりませんでした。
今シーズン始まる時に、自分の中で(引退を)決めたというよりは、勝手に(引退のタイミングが)来たという感覚でした。それこそ昨シーズンまではどのように引退したらいいのか、どうしたら引退するという気持ちになるのかと思っていたのですが、今シーズンの最初に、勝手に(引退の気持ちが)来て、シーズン中それが変わらなかったというところが、引退を決めた時期と気持ちです。
(引退を決意した)大きなきっかけは全くないです。自然に(引退の時期が)来て、こういう時に引退するんだなと思いました。
Q)引退について誰かに相談をしたか。
近賀選手●
(引退の決意が)揺らぐことがなかったので相談はしていません。パートナーには想いを伝えましたが、「それがいいんじゃない」と言ってもらいましたし、相談というところまではしていないです。
Q)レジーナでの4年間を振り返って
近賀選手●
濃かったです。チームを立ち上げることは今まで経験していなかったので、「このチームはどうなるんだろう」という気持ちでした。
その中でクラブから、このレジーナを女子だから、ではなくサンフレッチェ広島の哲学をはっきりと示していただいた。それが4年間ですごく(レジーナというチームに)染み付いてきていると思います。
正直来るまではサンフレッチェ広島というクラブがどんなクラブかというのはそこまで大きく知ることはなかったので、改めてチームに所属して素晴らしさを感じました。またレジーナとしては色々な経験をして少しずつ成長できた4年間だったと思います。
Q)(レジーナの立ち上げは)ゼロからのスタート。意識したことはあるか。
近賀選手●
その質問を色々なところでしていただいていますが、意識してきたことはないです。ゼロだからとか、私が日本代表を経験していたから何かを意識したというのはありません。
それより、勝つために、個人として成長するために、チームのためにプレーするというところを意識していました。その中で勝つためにはチームのメンバー全員が(チームのためにプレーすることを)意識していないといけないと感じていたので、会話の中で(メンバーに)その想いを伝えたところはありますが、特別に何かを意識していたわけではありません。
Q)レジーナで印象に残っているシーンはあるか。
近賀選手●
本当に難しいですね。WEリーグカップで優勝したことや先日の試合で2万人(3月8日浦和戦/20,156人)のお客さんにスタジアムへ来ていただいたことはすごく印象的です。
また1年目のシーズンで、途中出場の齋原みず稀選手(2022-23シーズンで引退)が、アウェイの浦和戦(2021年10月16日)で後半ATにゴールを決めて勝利をしたシーンがありました。立ち上げ1年目で自信のなかったチームの中で、そのシュートはすごく齋ちゃん(齋原選手)らしい、練習で何度も見ていた(これまで積み上げてきた)色々なものが詰まっていたゴール。途中出場の選手が自分らしいプレーでチームを救ったあのゴールは本当に忘れられません。
(齋原選手)は広島出身の選手でしたし、こういう選手が活躍するとこの街はもっと盛り上がると思いましたし、チームとして、クラブとしてすごく意味のあるゴールとして、すごく印象として残ってます。
Q)これぞ近賀ゆかりといったプレーはあるか。
近賀選手●
正直に言っていいですか?ないです。
これまでのキャリアでずっとサイドバックとしてプレーをしてきた中で、正直レジーナに来て自分らしいサイドバックとしてのプレーを出せなかったという想いがずっとありました。本来であれば自分らしいプレーでチームを引っ張る、もちろん言葉や行動というのも大事だと思いますけど、選手としてここにきた1番の意味はそこだと思っていたので、悔しさや情けなさという気持ちがずっとありました。なので「右サイドバック近賀ゆかり」としてのらしいプレーは正直ほとんどなかったなと思っています。
ただ、怪我をした新潟L戦(2024年10月14日)で、何回かオーバーラップをしてゴールの前まで行けたシーンなど、今シーズンはコンディションが良いのは自分で感じている中で少し自分らしさを出せたところもありました。ただ(自分)らしいかと言うと少し(イメージと)遠かったというのが正直なところです。
Q)レジーナの試合は広島広域公園第一球技場(現サンフレッチェビレッジ広島第一球技場)で始まり、今はエディオンピースウイング広島をホームスタジアムとして戦っている。それぞれの場所での思い出は。
近賀選手●
第一球技場で大好きだったのが、バスが着いてから会場入りする時、入口近くの階段のところでサポーターの皆さんが出迎えてくれる光景です。そこが(試合に臨む気持ちの)スイッチが入るポイントの1つになっていました。バスから降りて皆さんの顔を見て応援してもらって、「よし行くぞ」と気持ちを作って試合の準備に入るっていう流れが第一球技場での思い出の1つです。
最初はそんなに多くのお客さんが入っていない中から少しずつ、試合に来ていただけるようになった中で、4年間ずっと応援していただいてる方も多くいらっしゃいますのでその人たちに感謝をしたいという気持ちと、あとはピッチの芝生が綺麗だったという印象が強いです。そこからエディオンピースウイング広島に拠点が移りましたが、まず各方面から言われたのは「女子もそこ使ってるのか」という言葉です。その言葉は結構リアルを表現していると思っていて、その言葉に悔しさも感じながらも、運営面だったりを考えればここを使うだけのお客さんが入るわけでもなかったと思いますし、そう思う人もいるだろうなとも思いました。
だからこそ、エディオンピースウイング広島でプレーさせてくれたクラブ(の想い)に追いつかないといけないなっていう風にも思っていました。そういった中で少しずつ、選手やクラブ、そして周りの方の想いで徐々に徐々に観客数が増えていき、いろんな人とレジーナを作ってきていて今まさにその途中にいると感じることができました。
それはこのスタジアムだからできることだなと今は感じてますし、広島に来た時にはこのスタジアムはなく、出来上がる頃には引退していると思っていたのでプレーできたことに嬉しさを感じています。昨シーズンは試合に出ることができず、このスタジアムでプレーすることなく終わってしまったことに悔しさを感じながら見ていました。
そういった意味でも絶対今シーズン頑張ろうと思った理由の1つでもありますし、いろんな意味でこのスタジアムができたからこそのパワーというものはプレーをする立場としてもすごく感じています。
トップチームの試合を見に来ると(見る側としても)本当にいいスタジアムだなといつも思うので、このスタジアムがホームスタジアムになったことがとても嬉しかったです。
Q)チームメイトへどんな言葉を送りたいか?
近賀選手●
勝利への責任を背負ってプレーしてほしいと思っています。それは17日の今シーズン最終戦で引き分けて終わってしまった中、全員が本当に悔しい顔をしていてもちろん自分自身も悔しかったのですが、みんなの顔を見ると、「これが成長だったんだな」と感じることができました。
おそらく1年目はその勝利へのこの責任っていう重さ、サンフレッチェのエンブレムをつけて戦って勝利にこだわらないといけない中で、負けてしまっても、リーグ戦だったら次があるという意識が出てしまっていたと思います。
その中でチームとして様々な経験をして、悔しい想い、嬉しい、自分たちで勝ち取っていく中で少しずつ自信が芽生えたから最終戦で全員が悔しい顔をしたと思うので、来シーズンがとても楽しみです。
Q)ラストマッチで(後半AT)にPKのキッカーを務めた上野選手には試合後どんな言葉をかけたか?
※近賀選手が獲得したPKを上野選手が蹴ったが、相手GKにセーブされ試合は2-2の引き分けとなった。
近賀選手●
「任せちゃってごめんね」とは言いました。だけど、「次も頼むね」とも伝えましたし、もし自分がPKを取っても上野に任せるっていうのは決めていました。チームが勝つことを私は1番に考えて、その確率を上げるために一番いいのが上野に託すことだと思っていたので。また強くなって帰ってきてくれるんだろうなと思ってます。
Q)長いサッカー人生の中で印象に残っているシーンは。
近賀選手●
2つあります。
1つはワールドカップ優勝。言葉では表せない経験でした。(優勝までたどり着く)までの時間もそうですし、優勝した後の時間も、色々なものを与えてくれて、女子サッカーというものを日本の中で大きく変えた出来事だったことは間違いないと思います。スポーツ、サッカーの力を感じました。
2つ目はオリンピック予選(2011年9月8日のロンドン五輪予選女子アジア最終予選第4戦、北朝鮮戦)で、自分のミスで失点し勝利を逃し、本大会進出が他会場の結果次第という状況にしてしまったことです。1個のミスで女子サッカーのオリンピック出場をダメにしてしまったかもしれない、その重みを本当に感じましたし、試合後にチームのみんながこう本当に寄り添ってくれた仲間には一生感謝してもしきれません。結果出場することができたので少しは安堵できましたが、忘れられないシーンです。
Q)引退後に決まっていることは。
近賀選手●
決まっていることはなく、これから色々話していく段階です。
ただ引退後にしたいことは自分なりに2つあって、1つはレジーナが日本で1番のクラブになる、その力になりたいということです。(力になるということが)どういう形なのかはこれから探していきたいです。
レジーナは日本一にならないといけないクラブだと思っています。結果はもちろん、女子サッカーを引っ張る存在になるという意味でも、数年以内に日本一は成し遂げないといけないと思っているので、そこに貢献したいと思います。
2つ目はなでしこジャパンが「もう一度」ではなく世界のトップに立ち続けるような強いチーム、強い国になれるように関わっていけたらいいなと思っています。これから様々なことを学ばなければいけないと思っていますのでその2つの大きな目標に向けて活動していけたらいいなと思っています。
Q)サッカー人生を一言で表すとすれば。
近賀選手●
人に恵まれたサッカー人生です。
Q)自身にとって最高のサッカー人生だったか?
近賀選手●
そうですね。本当に私はサッカーが下手で、ずっとみんなに追いつきたいとか、上手い人と一緒にやりたいというのがサッカー始めた頃から今もずっとありました。
その中で自分の力だけでは見られなかった景色を見せてもらったので、色々な人に出会い、仲間たちと一緒に戦うことができてすごく(人に)恵まれたと思っています。その人たちがいなければこのサッカー人生はなかったので、引退した今、その方々に会いに行きたいと思っています。
Q)全ての方へメッセージをお願いいたします。
近賀選手●
何もない時から応援してくださった方、本当に感謝しています。
中々結果の出ない中、ひどい負け方をしたことありますし、逆にすごい勝ち方もした中で、本当に変わらずずっと最初から最後まで応援してくれたことが背中を押してくれました。
先ほどレジーナを日本一にということを言いましたけど、それを一緒にこれから作っていってもらえると嬉しいなと思っています。いろんな素敵な景色を見せていただいてありがとうございました。