代表取締役社長 仙田信吾より「30周年に臨んで」

お知らせ

 本日、サンフレッチェ広島は創立30周年を迎えました。ここに至るまで私どもを支えて頂いた、私たちがファミリーと呼ぶサポーター、パートナー企業、行政など多くの皆様に心より感謝申し上げます。

 30年前、多くの広島県民からJリーグ参入を後押しする署名を頂きました。その熱気に包まれて、Jリーグ発足の初年からオリジナル10として参画し、2012,13,15年とJ1で優勝を飾ることができました。
 その後の30年間は、二度の降格もありましたし、経営面でも波乱万丈でした。とりわけここ2年間は、コロナ禍で130日間の中断を余儀なくされ、再開なっても入場者数の制限、声出し禁止などお客様にも不自由をお願いしてきました。一日も早く、歓声と拍手に包まれるスタジアムの日々が戻ることを祈るばかりです。

 私たちは、日本を代表する育成型クラブとの評価が定着し、幾多の有力選手を輩出してきました。今シーズンはアカデミー出身者が大活躍です。アカデミー出身者が29人中15人という数字はJリーグのトップクラスです。育て上げてきた選手が躍動し、ゴールに歓喜する姿を皆様にお届けできるのは、先人たちの先見の明と努力のおかげであり、感謝の気持ちでいっぱいになります。
 男子と同様、オリジナルにこだわる強い思いもあって、日本初の女子プロサッカーリーグ「WEリーグ」にも挑戦し、サンフレッチェ広島レジーナは中国四国九州唯一のプロチームとして、輝いていこうとしています。

 新スタジアムは、2024年開幕に間に合います。開幕まで2年を切りました。日本初のまちなかスタジアムが、平和公園、広島城、芝生広場など周囲と溶け合って、歓声と拍手がこだまする日が近いです。新スタジアム計画を契機に、私たちは広島県及び私たちを愛して頂く全ての皆様と、一層強い絆で結びついていきたいと希望し、そのための行動を始めています。
 この場所は、平和公園を設計した丹下健三さんが被爆の5年後、サッカーのできる総合運動場を着想していた場所です。丹下さんは平和資料館・原爆死没者慰霊碑・原爆ドームを南北一直線に並べましたが、その延長線上に復興を象徴する存在としてサッカーを想定したのでした。サッカーの歓声と感動こそが、被爆からの復興だと焼け跡のバラックで考えたのです。
 広島とサッカーの歴史は古く、英国海軍が初めて日本に伝えたサッカーは江田島の旧海軍兵学校に息づき、さらに第一次世界大戦のドイツ軍捕虜から本格的欧州サッカーを学んでいました。被爆からの復興に際しては、サッカーが若者に生きる勇気を与え、日本リーグの雄として東洋工業が前人未到の4連覇を成し遂げ、メキシコ五輪の銅メダル獲得では代表18人中6人が広島関係者、監督は被爆者でもあった長沼健さんでした。

 私たちは、こうした先達の歴史を含めて「サッカー王国」と呼ばれる伝統を、これからの未来に紡いでいき、さらに躍動し発展させていく覚悟です。私たちを応援頂く全ての皆様、30年を新たな出発点として、これからもサポート宜しくお願い申し上げます。

株式会社サンフレッチェ広島
代表取締役社長  仙田信吾


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