あの日から79年。平和への思いを広島から世界へ
お知らせ
平和公園を設計した建築家 丹下健三氏は、ここを鎮魂、慰霊の場としました。
そのうえで、原爆ドームの北側には復興平和を象徴する施設が必要で、中でもサッカー場が必要だと設計図を残しました。
丹下さんは、被爆の惨禍から立ち上がろうとする当時の若者に、サッカーが生きる希望だったと知っていたのです。
長沼健氏、下村幸男氏、今西和男氏、小城得達氏といった戦後広島サッカー界のレジェンドたちは、皆さん被爆を体験し、同級生も肉親の多くも失いながら、サッカーに生きる勇気をもらったと証言しています。
こうした史実はエディオンピースウイング広島のサッカーミュージアムでご体感いただけます。
私たちがスタジアムに敢えて「ピース」と名付けた根底には、サッカーが生きる希望となり勇気を与えたという、積極的な前向きな平和を世界に伝えたいという思いが込められています。
株式会社サンフレッチェ広島
代表取締役社長 仙田 信吾