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仙田信吾新社長の就任会見を行いました!

 本日、広島市内で仙田信吾新社長の就任会見を行いました。


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久保「先ほど、行われた取締役会にて、仙田信吾氏の代表取締役社長就任の承認を得ることができました。

 仙田氏は、1955年3月に府中市上下町でお生まれになり、1978年3月に、中央大学を卒業後、中国放送に入社され、東京支局長、テレビ局長などを務められました。そして2011年6月から6年間、中国放送(RCC)の常務を務められ、RCCフロンティアの社長になり、現在は同社の会長職にあります。

 仙田氏は1993年に、RCCで「週刊サンフレッチェ」を立ち上げ、現在は「情熱サンフレッチェ」の制作会社のトップを務めていただいているなど、長年にわたり、サンフレッチェ広島を支えていただいた、という経緯があります。

 仙田社長選任の理由について、まず仙田氏は人的ネットワークをお持ちです。弊社は広島県内でも備後地区(からの動員など)が非常に弱い部分がありますが、仙田氏は府中市上下町出身で、備後地区に強い人的ネットワークをお持ちになっています。今後、備後地区からの観客動員がかなり期待できるのではないかと思っております。また、2024年のスタジアム建設に向けて、人的ネットワークを活かし、強いサポートをしていただけるのではという思いもあります。今後、サンフレッチェの動員やスポンサー獲得における大きな力になってもらえるであろうということが、最大の理由であり、期待です。

 新スタジアム誕生まで、サンフレッチェにとって、最も重要な4年と位置付けています。その中で仙田新社長のもと、監督、選手、スタッフ一丸となって頑張って参りますので、皆さまにおかれましても、これまで以上のご支援賜りますよう、よろしくお願いいたします」

仙田「皆さま、お忙しいところ、お集まりいただきありがとうございます。とても緊張しておりますが、先ほど、株主総会に続く取締役会で、社長就任を決めていただきました。サンフレッチェ広島をより一層強く、そして、より一層地元の皆さんから愛されるチームにしていきたい。それが大きな夢、ビジョンです。皆さまのご協力、ご支援、心より、強くお願い申し上げます」

Q)2020年からの社長就任、おめでとうございます。サンフレッチェ広島の社長就任が決まった、今の率直なお気持ちをお聞かせください。

仙田「ものすごく緊張しています。サンフレッチェの歴史、そして戦前から続く広島のサッカーの歴史、被爆からの復興を支えたサッカーの歴史を背負って、それを一心に継承するサンフレッチェ広島の代表取締役社長に就任し、とても緊張しています。しかし、同時に大きな誇りも持っています」

Q)久保会長に2点ほど伺います。新社長を決定するにあたっての経緯として、仙田社長を適任と評価されたのはどんな点だったのでしょうか。また、これまで2年間、社長を務められた山本氏に代わって、このタイミングでの交代、という最大の理由をお教えください。

久保「まず1点目の質問ですが、山本氏の後任の人事については、一番最初に仙田氏が頭に浮かびました。そこで直接、仙田さんにお願いしたところ、非常に重責であり、ありがたい話ですが、少し考えさせてほしい、というお話でした。その後、再度、お願いしたところ、引き受けていただきました。

 2点目についてですが、前山本社長も、マーケティングやいろんな面で力を発揮してくれたと思っています。山本氏には大変、感謝していますし、当初から2年という話はしておりました。また、2024年のスタジアム開業という1つの大きなエポックに向けて、一丸となっていくにあたり、広島出身であり、広島のことが一番よくわかっている方をという部分で、仙田氏にお願いしたという経緯があります。山本氏につきましては、私が思っている業務をしっかりとやってくれたと思っておりますし、本当に感謝しています」

Q)今、2年というお話がありましたが、新社長に関しては長期的な視野で、というお考えでしょうか。

久保「そうですね。街の中心地に都市型のスタジアムができれば、日本初になることもあり、Jリーグでも非常に注目されております。また、平和都市という点においても、スタジアムそのものが平和をアピールできるように、平和公園からスタジアム、広島城への動線も含めて、しっかりと街づくりしていくことができればと思っています。中心地に新スタジアムが誕生することで、観光客の皆さまには1日でも多く、広島に宿泊いただけるように工夫していきたいと思います」

Q)仙田社長にお伺いします。今後のクラブ経営において、どのようにご自身の経験を活かしながら、発展、改革を行っていこうと考えていらっしゃいますか?

仙田「サンフレッチェ広島の存在を、もっと地元の人たちに強く印象付け、サッカースタジアムに足を運んでいただく動きにつなげていきたいということを一番大切に思っています。そのために選手個々、あるいは監督を含めて、地元のコミュニティーに溶け込み、出かけていくことが必要です。一方で、私を含めてフロントは、多くの企業、団体、コミュニティー、いろんなところを回ってサンフレッチェのすばらしさを伝えることに徹していく。私自身は、これまで率先垂範型で走って参りました。これからもそのやり方を踏襲し、決して多くないスタッフと一緒に、自ら走り、歩き回りたいと思っています」

Q)地元の放送局出身ということで、強みもあると思います。選手やクラブの知名度を向上させるための具体的なメディア戦略などはお持ちですか?

仙田「私は中国放送の常務を退任して、2年半、RCCフロンティアという関連制作会社におりました。実はその期間が一番、私にとって、皆さまとの関係上、大切な期間でした。なぜならば、制作会社であるため、いわゆる広島4局、HFM様含めて、いろんなメディアと公平におつきあいする立場になることができたからです。また、広告会社としては、私たちが獲得してきた出稿を、4局に公平にお渡しすることができました。そういった面では、中国放送のカラーを少し薄めることができた期間となっております。もちろん、中国放送さんにもお願いはしますが、4局公平に、NHKを含めて、みんなでサンフレッチェ広島を盛り上げようとお願いしたいと、放送人としては思っております。

 また、もう1つ、皆さんにお願いしたいことがあります。今はSNSの発信が欠かせません。サンフレッチェも行っておりますが、ぜひ、広島の特徴を活かし、マスメディアの力を結集したら、サンフレッチェがこれほど元気になり、こんなに観客動員数が増えた、という物語を作りたいと思っています。関西であれば、Jリーグのチームが4つあり、関東は18もあるため、メディアが1チーム(の報道)に偏ることはありません。しかし広島は、地政学的にサンフレッチェしかない。そのため、マスコミの皆さんと一緒になって、4マス媒体を結集したらサンフレッチェがこんなに盛り上がった、という成果を、中央の皆さんに伝えていくことができればと思っています。決してネットだけに頼ることなく、既存のメディアでそれができるのではないか。皆さんに協力をお願いしてそこに挑戦し、手を携えてやっていきたいと思っています。よろしくお願いします」

Q)現在のサンフレッチェの課題がどういったもので、それをどのようにクリアしていこうとお考えですか。

仙田「J1で突出した売り上げを出すチームが出てきたこともあり、J1の平均売上が50億に届きそうな勢いです。そういった中で、サンフレッチェ広島はしばらく30億円台半ばの売上が続いています。その状況下でしっかりとチームを強化しなければいけません。足立部長を中心とし、さらには城福監督のご尽力で、強く、結束したいいチームになっていますが、この強化費をさらに増やせるように、売上を上げていく必要があります。そのためには、3本柱です。入場料収入、広告収入、そしてグッズ収入。そのすべてを底上げすることが大きなミッションであり、ファンの皆さま、サポーターの皆さまに、今一層のお願いをしていきたいところです」

Q)2024年にはサポーターが待ち望むサッカースタジアムも開業予定です。その建設へ向けて、どのように力を注いでいきたいですか?

仙田「まずは、県・市・商工会議所をはじめ、各ご関係者の皆さまに、心より感謝を申し上げます。ありがとうございます。そのうえで、サンフレッチェとしては、多くの人から愛される、魅力あるスタジアムにしていく、そのことで胸がいっぱいです。具体的には、最新の設備を整えること。最高、最良の環境でご観戦いただけるスタジアムを作っていきたいと思っています。また、先ほど久保会長のお言葉もありましたが、紙屋町を始め、広島市の中心部にある施設として、中央公園広場がたとえサッカーの試合がなくても十分に楽しむことができ、憩える場所にしていかなければいけません。そのために知恵を絞り、分科会にはサンフレッチェも入って打ち合わせをさせていただいておりますので、しっかりと検討していきたいと思っています」

Q)サンフレッチェを含めて、広島のサッカーとはどのようなつながりがあったのでしょうか。ご自身のスポーツ歴があれば、教えていただけますか。

仙田「私は文科系の人間ですが、Jリーグが立ち上がった1993年に、週刊サンフレッチェという日曜夕方の10分番組を始めました。ベテランの方には、かなりこの番組を覚えていただいています。サンフレッチェの試合結果を、ここでしっかりとお伝えできたのは、私の誇りです。サンフレッチェとの関わりでは、翌1994年に、サンフレッチェが1stステージで優勝、2ndステージでヴェルディ川崎が優勝し、いよいよチャンピオンシップが開催されるというとき、アウェイの試合を、まだ完成したばかりのグリーンアリーナの大画面でみんなで応援しようという、現在のパブリックビューイングの走りになるイベントを予定していました。大きな告知をして協賛金を集め、ほとんど実現の手前までいきましたが、試合の日程変更など急な事情があり、このイベントは開催できなくなりました。ただ、そういった大きな夢を見させていただいたのがサンフレッチェでした。また、イベントが中止になり、私が単身で当時、山手線神田駅にあったJリーグの事務所に話し合いで訪れたとき、とても真摯に迎えていただき、Jリーグの皆さんはすごいと思ったことを覚えています。

 実は、W杯サッカーに日本が初出場したフランス大会の第1戦、日本対アルゼンチンを、私は現地で観戦する僥倖を得ました。本当に奇跡のような試合観戦ができたと思っています。

 スポーツとの関わりという部分では、裏方の歴史が長く、カープファン感謝デーのプロデューサーを長い間、行ったり、広島に今、多くある大型の駅伝のゼッケンをいくつか私がつけたりということもあります。また、個人的には剣道も少しやりましたが、後頭部ばかりたたかれるため(苦笑)、生徒会長に転身、その後はやっておりません」

Q)広島といえば、かつてはサッカー王国と言われましたが、サンフレッチェも発足から25年以上の歴史があります。今後、広島という街・地域において、どのような存在であるべきだとお考えですか?

仙田「似島にあったドイツ軍の収容所の捕虜たちと、旧制広島師範学校の生徒たちが、日本初の国際試合をしてから、今年で100年が経ちました。また、1968年のメキシコ五輪には、当時の東洋工業サッカー部から5人の選手が選ばれ、中には広島県の関係者も何人かおります。当時のクラマーコーチは、広島弁で怒鳴っていたと聞いておりますが、それだけ広島はサッカー王国です。今西和男初代総監督は被爆をして、ケロイドが少し残っていますが、その中でサンフレッチェの強さを初期から作っていらっしゃいました。そういった輝かしく、かつ汗と涙が詰まった歴史を自分が引き継ぐと思うと、すごく緊張します。ありがたい歴史を決して絶やすことなく、大きく羽ばたかせていかなければいけないと強く思っています」

Q)新しいサンフレッチェ広島に期待しているファン・サポーター、スポンサーを含め、広島県民の皆さまへメッセージをお願いします。

仙田「今朝のニュースや新聞紙面で、小学生の体力が低下していると大きく伝えられていました。サンフレッチェというクラブは、J1リーグを戦うチームを頂点にして、大きなピラミッド組織があり、キッズから小学生、育成、サッカーを通しての人間育成を目指しています。Jリーグの崇高な理念があり、広島ではその(理念実現の)役割をサンフレッチェが担っています。サンフレッチェを応援するということは、その大きな理念にご納得、ご理解いただいて支援していくことだと、皆さんにも思っていただきたい。そういった意味では、子どもたちの体力低下について、サンフレッチェももっと努力していきます。

 子どもたちに声を大にして申し上げたいのは、スマホから一度、目を上げてほしいということ。そこには、美しいグリーンの芝生で、ひたむきに走るサンフレッチェの選手の姿があります。一緒に応援し、大きな声で叫んでいただくことで、サッカーの楽しさをかみしめる。そういったことにトライしてほしいと思います」

Q)今年のサポーターズカンファレンスで山本前社長が、新スタジアム開業までに売上40億円をという話をしておりましたが、先ほど、J1の売上平均が50億規模、という話もありました。何か具体的な数値目標や、これまでの経験なども踏まえて、この数値までもっていかなければいけないという目安はありますか?

久保「スタジアムのロケーションの悪さについて、アウェイのサポーターからもよく言われますが、2012年から2018年まで、2019年を含めてもそうなりますが、サンフレッチェの動員数の伸びが106%になります。しかし、他のチームは136、上位チームは160くらい伸びている。たくさんの課題がありますが、もう一度、スタジアムに足を運んでいただくことをやっていきたい。昨年あたりから動員策の議論をしていますが、今年は、10%は上げていこうと。そのための策として、2ヶ月、3ヶ月先のホームゲームを見据えながら、昨年こうだったからあと10%上げるにはどうすればいいか、いろんなことを議論し、今までにないことを付加しながら、全員が観客動員に向けてしっかりとトライしていきたいと思っています。現状から40億円くらいになるよう、クラブの2024年に向けての目標として、しっかりと対応していきたいと思っています。

 また、(昨日発表した)アウェイユニフォームについて、私もご意見をいただきました。これは2020年に開催される東京五輪を盛り上げるべく、NIKEからご提案がありました。浦和レッズは浦和の赤をトランク、鹿島は鹿島の赤をトランクというところで、広島はどうしようかと思っていたところ、1県に野球チームとサッカーチームがあることをもっとアピールしたい、カープの力も少し借りながらPRしていきたいということで、カープの赤をトランクしました。2020年は東京五輪をみんなで盛り上げようという一環になりますので、十分に理解していただければと思っております」