林卓人選手 現役引退会見を行いました!

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12月4日(月)15:30から、広島市内のホテルで、林卓人選手の現役引退会見を行いました。

林卓人選手 現役引退会見

林卓人選手 現役引退会見

「お忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。来週、目の検査を控えていまして、1週間コンタクトを外さないといけません。メガネをかけてすみません。失礼します。
現役中は皆さんに対して、相当態度が悪かったと思います。そこについては、重々承知していますので、この場をお借りしてお詫びしたいと思います。ですので、今日は現役最後の務めとして、誠心誠意、皆さんの質問に答えたいと思っています。よろしくお願いします」

代表質問

Q)23年の現役生活お疲れ様でした。引退会見を迎えた今の気持ちをお聞かせください。
サンフレッチェ広島のクラブ関係者の皆様が、こうやってメディアの皆さんの前で話をする機会を与えていただいたので、ただただ感謝しかないです。この会見が最後のケジメかなと思っています。

Q)引退の理由をお聞かせください。
来季、新スタジアムでプレーしたかったですが、来季は選手としての契約をいただけないと分かった中で、自分自身、現役にこだわるのか模索しました。広島で終わるのが一番自分が幸せだという気持ちが上回り、そこからは他のチームを探してまでサッカーを続けようというモチベーションよりも大好きなクラブで終わるほうが幸せだという感情になりました。そこが大きな理由です。

Q)引退を決めたのはいつ頃でしょうか。
クラブに言われたのが11月の頭ぐらいだったと思います。そこから3、4日ぐらいで、気持ちとして改めて新しいチームを探すという気持ちが湧き出てこなかった。そこで決めました。

Q)引退を相談した方はいらっしゃいますか。
先ほど言ったように自分の中で気持ちが湧き出てこなかったので、決断して家族に伝えました。

Q)家族の反応はいかがでしたか。
スッキリしていた部分もありますし、残念そうな部分もありました。ただ、家族も一緒に頑張ってくれていたので、家族に対しても僕から『良く頑張ったね』という言葉はかけさせていただきました。

Q)サンフレッチェに戻った翌年の2015年にはリーグ優勝。あの優勝を振り返っていかがですか。
自分のキャリアの中でまさか優勝できるとは思わなかったです。それは本当に広島だから成しえたことです。チームメートや当時のスタッフ、監督、コーチ、サポーターの皆さんを含めて全員で勝ち取った優勝だったと思います。自分のキャリアでそういう優勝というものが刻まれたのはすごく大きなことでした。ただただ、嬉しかったです。

Q)一度広島を離れた上で帰ってきてからの優勝は特別な思いがありましたか。
もちろん僕の大好きなクラブで優勝できたのは大きいです。ただ、広島が大きく成長したのは僕が離れた後の10年間だったと思います。みんなが成長してきた波に良い時に乗らせてもらったという感覚が大きいです。

Q)印象に残っている試合を教えてください。その理由はなんですか。
セレモニーの時にも言わせてもらいましたが、(東日本大)震災後の等々力での川崎フロンターレ戦です。言葉にするのはなかなか難しいですが、本当に人の思いというか…。人生観が変えられた試合でしたし、『サッカーをやっている意味はなんだろう』、『生きている意味は何だろう』とか、いろいろ考えながら。でもあの試合に勝利した時に、すごいエネルギーがその場に生まれていました。喜んでくれたり、自分自身の内側からも『人のためにサッカーをやるのは大事なことだな』、『喜んでもらえるのは素晴らしいことだな』と思えた試合でした。電車も通らない中、あれだけ多くの方がスタジアムに駆け付けてくれて、TVの前で後押しをしてくれて、人の思いを背負ってあそこまで強く戦えた試合はないかなという一戦でした。

Q)2011年仙台在籍時に東日本大震災を経験し、東北で復興への思いも共有されました。その時の思いとご自身のサッカー人生でどんな影響力があったか教えてください。
震災もそうですが、広島に帰ってきてからも豪雨災害がありました。熊本でも大きな地震があったり、いろいろな災害などがあります。もちろん、そういうのは起こらないほうがいいですが、ダメージを受けた中から立ち上がっていく姿、そういう中にスポーツやエンターテインメントが必要なのかなとは、そういうことが起こるたびに感じました。自分はスポーツをする側でプレーさせてもらっていたので、そういうことに何かを求めて応援してくださる皆さんの力は、震災後から特に感じるようにはなりました。

Q)広島の背番号「1」は歴代日本を代表する守護神を輩出してきた番号。そんなレベルの高い環境で切磋琢磨できたことについてどう感じますか。
広島には広島のGK哲学というものが間違いなく存在しています。自分自身、プロ入りしてから最初の4年間で叩き込まれました。そこから移籍しましたが、移籍した時に思ったのが、やはり『これはどこに行っても通用するな』ということ。この哲学さえ、自分がしっかり心にとどめておけば、絶対に通用するという手応えは移籍して改めて感じました。広島でGKをするということがいかに幸せで、いかに誇り高いかというのは、最初の4年間もそうだし、他のチームに移ってもそうだし、またこのチームに帰ってきてからも特に感じました。ただ、GKは一つのポジションなので、競争に関しては広島だけでなく、どこに行っても存在しました。そういう仲間とGKのグループでしか味わえない切磋琢磨というか、ピリピリした雰囲気が僕は大好きでした。一緒に戦ってくれた仲間に本当に感謝したいです。

Q)切磋琢磨する中で影響を受けた人物や言葉はありますか。
やはりプロをスタートするにあたり、望月(一頼)さんや加藤(寿一)さん、今も加藤さんは指導してくれますが、そういう人たちが広島のGKを支えてきました。そういう人たちが基本を徹底して叩き込んでくれたので、ありがたかったです。何か技術的なことを教えるというよりは、意識や習慣を叩き込まれました。それは本当に感謝しています。『それができた時にはどういうGKになれるのか』というのは、目の前に素晴らしい先輩方がいました。自分にとって素晴らしい環境だったと改めて思います。

Q)引退セレモニーでは大迫敬介選手に背番号1のユニフォームを手渡しました。大迫敬介選手への思い、期待することをおしえてください。
正直、これを言ったら冷めるかもしれませんが、1番を渡したのは最後にファンの方たちに喜んでもらいたかったのでやらせてもらいました。エンターテインメントと言うか、自分はそういう部分が一番足りなかったので、最後に喜んでもらいたかった。もちろん、敬介にも(思いは)ありましたが、(背番号1は)僕だけの番号ではないですし、来年はチームが(大迫に)渡すというのは聞いたので、チーム側からも『オマエが渡したほうが喜んでくれると思うよ』と。アイツも付けたがっているというのは教えてくれたので、あの場でああいう形でやらせてもらいました。敬介については、敬介だけに何か一言を言うのは難しいです。(川浪)吾郎や(田中)雄大など、今年一緒に戦ってくれた仲間、彼ら3人の成長を一番間近で見てきて、もっともっと競争して、成長に繋げていってほしいと思います。僕がいることでやりづらいこともあったと思いますが、そこでも彼らは文句も言わず付いてきてくれていたと思います。最後はその競争に僕が加われるような状況ではなかったので、申し訳なかったです。ただ、送り出そうとしてくれたことに関しては、ムチャクチャ感謝しています。

Q)ご自身の今後についてはどう考えていますか。引退後の夢などを教えてください。
それは正直に言ったら半年ぐらい南の島に行きたいですね(笑)。本当にそれぐらいの気持ちでいます。ただ、それよりもスピーチで言わせていただきましたが、このクラブに対して恩や愛情があります。そこに恩返しすることやこのクラブの発展のために、正しくこの情熱を使えるように自分自身、勉強したり成長していかなければダメだと思っています。来年1年は忙しくさせてもらって、しっかり勉強する年にしたいと思います。そのほうが選手から早く切り替えられると思っているので、このクラブのために忙しく働く予定でいます。

Q)林選手にとってサンフレッチェ広島はどんなクラブですか。
難しいですね。何て言ったらいいんでしょう。ただただ大好きなクラブです。それは、選手、スタッフ、フロントも含めて、人間性を持った方々の集まりです。それが広島のアイデンティティーと言うか、そこがあってこそのサンフレッチェです。僕はそういうところに惹かれました。それに対して応援してくれる広島県民、市民の皆さんにいつも温かい声をかけていただきました。このクラブやこの街を好きになるのに、そんなに時間はかからなかったです。一目ぼれに近い感覚と言うか、18歳でこのクラブに来た時から一瞬ですごく好きになっていたなと今振り返ると改めて思います。

Q)改めて、プロ選手としてどんな23年でしたか。
紆余曲折ありましたし、いろいろ悔しい思いもありました。今はすべて受け入れて、スッキリした気持ちです。いろいろありました(笑)。でもサッカーに出会えて良かったと改めて思います。

Q)来年からは『エディオンピースウイング広島』も開業します。サンフレッチェの後輩たちに期待することを教えてください。
もうこの2年を見ても分かるとおり、彼らの成長スピードには驚かされてばかりです。昨日の最後のあの状況で勝ち切るという、『逞しさまでついに身に着けたか』というのも感じました。来年も彼らがまた成長と共にどういう大きな結果を手にするかは、一ファンとして、期待せずにはいられない状況かなと思います。

Q)長い現役生活の中、何度もケガがあり、真剣に体と向き合っていました。日々のケアはいつ頃から身に付き、キッカケはあったのか。
キッカケはなかったです。プロに入った時から先輩方がそういう姿勢でやっていました。プロとしてやっていくには必要なんだと自然とそういう環境にいました。僕自身のケガは自分自身で痛めることが多かった。接触でどうこうと言うよりは、自分自身の体のバランスが悪かったりして、自分で痛めたケガでした。もどかしいと言うか、そこを何とかしたいとは常に思っていました。ただ、そこに協力してくれたトレーナーの方々や自分で個人的に付けたりもしました。そういう皆さんのおかげでいろいろ勉強させてもらいました。ただ、そういうのが楽しかったです。自分の体と向き合うのが楽しかったですし、それでパフォーマンスが上がっていく時は何にも代えがたいものがありました。それで崩す時もありましたが、上がっていく時が楽しかったです。

Q)家族も一緒に頑張ってくれたという言葉もありましたが、家族の食事や生活のサポートはどういうものが大きかったですか。
もちろん食事もそうです。奥さんもたくさん栄養の本を読んで作ってくれました。子供たちに関しても僕が休みの時はどこか遊びに行きたいはずなのに、僕の疲労を優先して、我慢させた部分もありました。それを言い聞かせてくれたのも奥さんでした。そこは家族の協力なしにありえなかったプロ生活だと思っています。

Q)引退セレモニーの時に涙を流したのは日本代表の下田崇GKコーチの映像の時でした。若い時から挑み、戻ってきてからはコーチと選手の関係でした。下田崇の大きな存在があってこそだと思いますが、改めてどういう存在ですか。
『こんな人がいるのか』というぐらいでした。今も足元にも及ばない、いや、くるぶしぐらいまでは行ったかな(笑)。とにかくレベルがすご過ぎて。引退セレモニーの後に大阪の実家の家族にも感謝の思いを込めながらじっくりと食事をさせてもらいました。その時に出た話として、僕が高校生の時にサンフレッチェの練習に参加させてもらい、僕の父親はサッカーの素人なのですが、練習見学でGK練習を見ていて、下さんを『バケモンやな』と。『倒れた瞬間に起き上がっているやんけ』と、スピード感が全然違う。息子がどえらい世界に行こうとしていると。素人目から見てもそれぐらいのGKだったんだと思います。本当に望さんが言っていたことを下さんが目の前でやっているので、とんでもないレベルの高さを感じました。本当に僕の持っている技術は、一番最初の下さんの真似事から入ったと思っています。そこに関しては感謝しかないです。コーチとしても技術的にもメンタル的にも支えていただきました。感謝しかないですね。


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